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2025年3月25日火曜日

病気のはなし書いてみてのはなし

退院してからはスケッチやっぱ全くしないね。
猫。

 3月20日に、「病気のはなし」として、5ページに渡って、経験談を書きましたが、ほんとにたくさんの方に読んでいただきました。


様々な方からお見舞いのメッセージをいただきました。ありがとうございました。

あと、何人かの近しい方(またはご本人)が似たような症状を抱えて過ごしていたり、さまざまな不具合を抱えながらも生活をしているということを言ってくれたり、みんな、いろいろ抱えながら生き抜いてんだ!とひしひしと感じました。

また、同じ病気の方がお知り合いにいたりして、その方からいろいろなお話を伺うことができました。少し、この病気を柔軟に捉えることができました。


私がこの話を公表するに至ったのは、あまりにもわかりやすいほどの難病に罹ったこと、罹患された大体の方は寛解するという情報もあり、ここまでつまびらかにお知らせできたのだと思います。

病気という話になると、様々な憶測などで、「躊躇されるもの」だったり、「遠慮されるもの」だったりされるのがどうにも私の性に合わないもので、このようなカタチでお知らせしました。

実は、この病気をきっかけに、自分の作品がどのように変わっていくのかも楽しみになっていたりもします。

また、これからも、ちょいちょいこんな話を作品の紹介の合間にブログ内で挟みこんだりするかもしれないので、ご興味ある方は読んでいただけたら嬉しいです。

どうもありがとうございました。


次の展示は、4月16日(水)から、芦屋のJクオリアにて、革作家の坂田典子さんとの2人展になります。

また、詳細は後日お知らせします!



 


2025年3月20日木曜日

病気のはなし5

画像は入院中に描いたあれこれでした

この病気は、

ほとんど(90%以上)の症例は、適切な治療によって軽快(寛解:炎症が治まった状態)します。」

とあります。 

https://www.nanbyou.or.jp/entry/3877


しかし、罹った方の体験談なんか読んでいると、退院後の方が、薬のバランス等々、再燃と軽快を繰り返したり、また症状がぶりかえし、簡単に思わぬ感染症に罹ってしまい、再入院したりとかいう、何年もこの病気に苦しんでいらっしゃる話もありました。

この病気は、大体の方が手足の末梢神経の痺れが後遺症として残ることが多いらしいのですが、私の場合、足の痺れのみがあり、手には及ばなかったのが、不幸中の幸いでした。

わたしは退院して、結果、お尻、足の筋肉も落ち、歩くのもままならず、ヘロヘロで8キロ痩せて帰って来ました。これからリハビリしながらの生活になると思うので、今からが勝負なのかなとも思います。

結果、思いもよらぬ病に突然ぶち当たった訳でしたが、でもこれも、「おそらくはこれからも生きながらえれるぞ!」とわかったから。

これからも、いろんな方にさまざまなご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうぞご容赦ください。


また、入院中は、いろんな方にお見舞いや言葉などいただき、とてもチカラになりました。いろんな人に支えられてのわたくしです。

この場を借りて、お礼申し上げます。

ありがとうございました。


闘病生活はこれからも続きますが、

みなさま、末永くどうぞよろしくお願いします。


宮内知子 


おわり

病気のはなし4


 4人部屋の話


わたしの病気は、入院期間中、とにかく感染症になってはいけないので、その可能性の低いであろう部屋をあてがわれていました。

なのでかわかりませんが、

白内障の手術(1泊)

糖尿病の治療(3拍)

憩室炎の治療(4泊)

目眩症の方(2泊)

婦人科の手術、治療(3泊から1週間)

など、ほんとにさまざまな方々が、入れ替わり立ち替わり入院してから退院していきました。

基本的に入院中はテレビも音楽も、イヤホンで聞き、カーテンでピッチリ仕切られている状況で、他の患者さんとも顔を合わせることもなく、2.5畳くらいの部屋でずっと過ごしています。なので、部屋の中はとても静かです。

まるでわたしはいろんな人の話をカーテン越しに聞いてる牢名主みたいになっていました。

ふーんそうかー退院したところでお家事情も大変なんだなーとか、若いから、退院してもがんばれ!とか、お医者さんが説明してるの傍目で聞きながら、カーテン越しに感想を頭で述べて、耳年増のようになっていました。

あと、この病棟は、産婦人科と一緒になっていて、足慣らしで病棟を歩いてると、「オギャー」だの、まさしく陣痛中の「ひー!わー!痛いー!」だのが聞こえてきます。これだけ入院してると、いろいろなものを見聞きしたりして、やっぱり、ここは非日常なのねと感じます。

最後の時期の4人部屋は、帝王切開を控えた妊婦さんに囲まれて、これから生まれる赤ちゃんの心臓の音なんかも間接的に聞けて、若干幸せな気持ちになったりもしました。

逆に考えると、ずっとここで寝てたり、テレビを見てうふうふ笑ってたり、早朝から鉛筆を擦る音をカサカサいわせてたりしている私は、「この人いったいなんの病気なのだ、ずっとおるけどさー」と思われていたかもしれません。




病気のはなし3




 入院中のはなし

結局、入院は、36日間でした。

検査入院からの治療に流れたので、おおよその覚悟はしていたものの、日がな一日を過ごす準備は最低限しかしておらず、すでに治療2日目ほどで、時間を持て余し始めました。

幸いなことに、姉が近くに住んでいて、コピー用紙100枚と2Bの鉛筆を買ってきてもらい、友人から色鉛筆をプレゼントしてもらいました。

なので、暇さえあれば、スケッチをしていました。この病院は、駅前の住宅街の中に、にょきっと建っている立地で、ベッドが4人部屋の窓側だったので、1日の中で変化する煙突の煙、電車、いろんな雲、山、家、駅のホームに立っている人など、スケッチしまくりました。

あと、友達からの「これ描いて」の課題に応えたり褒めてもらったり、ダメ出しされたり。あとは、パズル、小説、少女マンガ、雑誌を端から端まで読みこむ、映画、テレビ、朝活書写、筋トレ、病棟の周りを足慣らしで歩く等々、案外、最後の方は、10分刻みごとに予定がルーティンのようになってて、やらなければいけない用事(ほんとは別にやらなくていい用事だけど)に溢れていました。【※長期入院されるかたに、ノートパソコンを持ち込んで、スマホでミラーリングしたら、テレビでもYoutubeでも延々となんでも見れます。おすすめ(通信料はかかりますが)。備え付けのテレビは、テレビカードという、1枚1000円で20時間見れるというのもありますが、割高なので。】

わたしの入院生活は、たまに点滴や、検査などで体の自由が効かないこともありましたが、基本的には、薬を飲んでご飯を食べて何事もなく一日を過ごすのが目標なので、足の痺れのことを考えなければ、変な宿泊旅行みたいな感じでした。(病院食は美味しかった。これが救いでした。)

(あと、お医者さん、看護師さんはじめ、医療従事者の方たち、皆さん、とても優しくて気持ちのいい方ばかりでした。すごい仕事。それにもとても感謝してます。)


次は、4人部屋のあれこれの話



病気のはなし2

 



改めてになりますが、私は、EGPA・好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(こうさんきゅうせいたはつけっかんえんにくげしゅしょう)という名前の難病指定の病気に罹患しました。(長い。いまだに覚えられない。)

100万人に3人というこの病気、進行の度合いは前述しましたが、昨年12月に受けた、肺がん検診にたまたま引っかからなかったらと思うと、もしかしたら、ラッキーだったのかもしれません。この病気は、身体を守るための好酸球が、なんらかの理由(まだ、解明はできていないみたいです)で、さまざまな血管や神経、臓器等を攻撃する病気です。なので、成人が持つべき好酸球の量が、5%なのに対し、わたしの罹患時には、40%になっていました。

人によって攻撃する場所は様々らしいのですが、私は、足の末梢神経、大腸、肺、心臓に影響が出ました。おそらく、このまま放置していたら、より悪化し、重篤な症状になっていたかもしれません。結果、総合病院でリュウマチ科がある専門医に診てもらえることになりました。

この病気の治療過程は、まず最初に、自分の体重に対して限界値のステロイドを投与して、増えすぎて攻撃している好酸球を抑えていきます。そうして、好酸球が抑えられてきたら、免疫抑制剤などの点滴に置き換えたりして、だんだんと体の中のバランスを取っていくわけですが、ステロイドいうのは、大量に投与すればするほど、様々な副作用をもたらします(不眠、骨粗鬆症、糖尿、コレステロール値の悪化、肥満、顔が浮腫む《ムーンフェイス》等々)。

そして、本来守るための免疫を無くしていく薬なので、何かしらの感染症に罹りやすくなります。なので、病院に入院しつつ、ステロイドとその副作用にまつわる薬を飲みつつ、感染症に注意しながら大人しくじっとしなければなりません。

この病気の最初に出た症状は、足の痺れ、痛みなのですが、入院中、足の痺れに対しての直接的な薬は処方されません。なので、ステロイドの作用を願いながら、なんとなく足の痺れが改善するようただただ期待しながら日々を過ごしていきます。本来の痺れや痛みというのは、本人にしか認識できないことで、その感覚は人それぞれです。病院は、あくまで体の運動機能として診断します。(体に電気を当てて、末梢神経の反応を見る検査をします。ビリビリと痛い。)

長く正座をしたり、押さえつけられた筋肉が痺れてくるようなものは、時間の経過とともに改善されてきますが、この痺れは入院中、ましにはなれど、引いていくことはありませんでした。それでも、「これは私のせいじゃない、病気のせいだー」なんて言い聞かせています。不可抗力で起こった病気は生きている限り病気のせいにします。そうすると、少しは気が楽になります。

ステロイドというのは、副作用も多々ありますが、不思議なもので、基本的に人を(無理やり)元気にさせる薬でもあります。なので、入院中は食事も美味しくいただき、足の痺れ以外は基本健全に過ごせておりました。ただ、不眠の副作用により、夜は目が冴えてほんとに眠れませんでした。入院中は眠剤を処方してもらってギリギリ眠れる生活を送りました。なので、朝方に窓際の風景をスケッチをしたりしていました。


長々と書いてますが、次は入院中のはなし。。




病気のはなし1


 ご報告

わたくし、2025.2.10から、検査入院を経て、その結果、指定難病の「好酸球性多発血管炎性肉芽腫症」という病気に罹患しておりました。(略称 EGPAといいます)

いわゆる、膠原病の一種で、鼻炎、喘息などを患っている一部の人に起こる血管炎という病気でした。

症状は、2024年の年末から、右足全体が痺れはじめ、自然に治るであろうと思っていたら、年始から度々の高熱、そののち血便が出て、そうこうしているうちに、右足の先(足の平というんでしょうか)が強く痺れてきて、そしたら、左足の平、ふくらはぎも痺れ、左足首がこらえられなくなり、なんども転んでしまいました。夜は足の激痛で眠れなくなり…というなんとも復号的な症状が出てきたのでした。

はじめは、整形外科、胃腸科と、それぞれの個人病院にかかり、双方の先生から「因果関係なし」と言われていたのですが、このタイミングで、昨年の12月頭に受けた肺がん検診でひっかかり、総合病院で精密検査を受けました。肺のCTを取ると、「間質性肺炎」「鎖骨に血栓」「心臓を覆う水が多い」と、ガンではなかったのだけれど、さまざまな体の異常がみつかりました。

「これは、免疫系の病気かもしれない」と診断され、10日後に検査入院、様々な検査を経て、この病気が判明しました。

2年前から喘息ではあるものの、できるだけ規則正しい生活を努めてきた自分としては、まさに青天の霹靂のような事態でした。

このことをブログに書こうか、悩みもしましたが、ご報告を兼ねて、この経験を記していこうと思うので、みなさま、ご興味のあるかたは、しばし、お付き合いくださいませ。

また、関係各位のかた、まだ、ご連絡していない方もいらっしゃいますが、この場を借りてお知らせいたします。

(長々と書きますので、端折りたいかたは病気のはなし5まですっ飛ばしてください。)



2023年8月16日水曜日

台風過ぎましたね

毎回おんなじような画像ですが、
わたしにとっては努力の結晶なので
見てやってください




 毎日、午前中はオブジェの制作
午後は器成形の時間と決まってます。

何事も地道にやっていくしかないのですが、
まあオブジェづくりは紆余曲折あり
まさしく試行錯誤の日々です。
アクシデントも常にあり、それを解決するために毎日頭をこねくり回してやっています。
「ほんとできんのかこれ」も時間かけたら
いつのまにかできてきたりして、
普段自分が効率をいかに大事にしてきたのかを思い知らされます。
すべてこれも、自らがやりたいことというより、仕事という強迫観からもたらされてるものですが、
結果、解決するために施されるものは自分の「やりたい」の要素も含まれないと成し得ないことであり、
そのプレッシャーとワクワクの絶妙なバランスでなんとか飽きない仕事ができてるんだなぁと気付かされる毎日です。

あまり仕事という言葉は好きではないのだけど、
「仕える事」という風に考えれば
なにかにもたらされて、ここにいる感じもするので、ちゃんとここで身を置いてやっていかねばなぁと思います。



台風も過ぎて残暑厳しい日が続きますが、
みなさまもどうぞ健やかにお過ごしください。




2020年12月9日水曜日

個展に向けて

©mizusai




木工を始める前、何かをつくりたいと思っていたものの、素材は何がいいか、どうしたらいいか、日々悶々と過ごしていました。

立体を構成するための平面、立ち昇るような面、踏み固められた地面、ずっと、面の存在感みたいなものに惹かれてはいても、どうやってそれを表せばいいのかわからず、それでもつくりたいと思って、おもむろに木を彫りだしたのが、わたしの木工のはじまりでした。

そのころから、粘土を木に埋め込んでみたりして、素材を感じながら、表面を面としてどう存在感を持たせるのかみたいなことをずっと考えながら制作してきました。

今回、個展のための制作にあたり、漆、胡粉の他に、何かで表面にテクスチャをつくれないかと思い、日本画などで使われる土顔料を見つけました。

色をつけるというより、面を際立たせたいというのが目的で、木の凹んだところに土顔料を埋め込み、スプーンの裏で擦り付けると、土顔料と木に艶が出てきて、異素材でつくられた面が一体化してきます。

そして、器の口縁を薄く削ぎ落とすと、木の塊だったものが、殻のようなものに見えてきます。

「空殻(しいな)」という題名は、もともとは「秕」という漢字から、島崎藤村の「破戒」という小説に当て字として書かれた言葉を引用しています。

秕とは、実のならない籾(もみ)という意味。

今あるものを持って、そこに欠いたものを想像できないかみたいなことを思ってつけました。

そのあたりを、共鳴できたらとても嬉しいです。


 

2019年8月3日土曜日

漆の象嵌

木の表面に漆を象嵌のように埋め込み、柄を描くような手法を考え出したのは、今から5年前になります。
それまでも、顔料と膠を混ぜたものを木に埋め込み、柄を描いたりしていたのですが、木工旋盤で器をつくり始めたころで、柄が描かれた絵皿を、どうにかして食器として使えるようにできないかと考え、漆を使って描くことを思いつきました。
漆というのは、数ある木工塗料の中でも特殊で、中に入っているウルシオールという成分が、水分と反応して乾いていくものです。漆は、木への浸透がよく、一度乾くと、とても固く、季節によって乾き方も違い、漆が皮膚に付着するととたんにかぶれてしまう、なかなか取扱いが難しい塗料です。
はじめは慣れずに思うように描くことができなかったのですが、いろいろ失敗を重ね、漆ならではの魅力に少しずつ気付き、だんだんと描くのが楽しくなっていきました。
自分で編み出したものなので、今でも新しい手法を模索しつつ描いています。

木工は、工芸というジャンルに於いて、塗料然り、技術的にも表現の幅がまだまだあるような気がしてなりません。
漆に限らず、木のテクスチャみたいなものに良い作用があるような材料、つくり方をこれからも探求していけたらと思っています。

この漆で描くお皿をつくるのを思いついたきっかけが、千葉で行われる野外展示会の「工房からの風」。5年前の10月に初めて参加させてもらい、打ち合わせの際、絵皿を食器で使えるようにしてみたら?と提案をしてもらい、いろいろここから発展していきました。
また今年の10月にもお世話になる予定です。
http://www.kouboukaranokaze.jp/

秋に向けていろいろ制作中。
また新しいものが出来上がってきたら、こちらでお知らせいたします。


2019年7月29日月曜日

合わせ木

くすのきばこ 2000年



木をつかってものをつくり始めたのは22年前になります。
卒業後、陶芸関係の仕事を探していたのですが、いい働き口がなく、結局、京都にある扇子屋で働きはじめました。
仕事場と家との往復する毎日で、創作活動を全くしない日が2年ほど続いたのですが、そんな生活は、自分の根幹みたいなものが少しずつ失われていくような気がしてきて、だんだんと気持ちが不安定になってきました。
なにをどうしたらいいかわからず、休みの日はスケッチに行ったりしていたのですが、どうもすんなりいかず、悶々とした日々を過ごしていました。
そんな中、そういえば短大時代に彫塑教室という授業で、木の塊から自分の足を彫るという課題があり、その時の木の感触や彫っていきながらかたちを成形することがとても楽しかった記憶があり、もしかしたら、自分は木という素材が向いているんじゃないかと思い、ホームセンターで買った鑿と、小さな玄翁を家に持ち込んで木っ端をもらって器のようなものを作り始めました。
それからむやみやたらに器を彫っていくのですが、あのときは、ものの固まりでありながら器という形状である違和みたいなものを追い求めてつくっていたような気がします。
食器などつくることには興味がなく、やはりオブジェのようなものをつくっては公募展に出展したりしていました。
鹿児島で行われた公募展では小さな賞をいただけたりして、闇雲につくっていたものに、なにか認めてもらえたような気がしてとても嬉しかった記憶があります。

あるとき、制作中、器のある部分がどうしても足りないような気がして、木を剥ぎ合わせて足していくようになりました。剥ぎ合わせて仕上げた表面の表情がとても魅力的で、なんだか意味もなく「これでやっていけるかも」みたいな気持ちになりました。
これがいまでも行っている「合わせ木」というもののはじまりでした。
「合わせ木」という手法は木と木を剥ぎ合わせるとき、貼り付ける表面を有機的な形(鑿などででこぼこ)にして、貼り付けるもう片側を少しずつ形を合わせながら削っていき、接着剤で剥ぎ合わせるものです。切り出したときの貼り合わされて見える線が有機的に見える独特な手法になります。
これを使えば、大きな木を手に入れなくても、小さな木を貼り合わせていけば、どんな大きさのものでも制作できます。手間はかかりますが、今でも技術的に困難なものをつくる際、合わせ木という手法を用いることによっていろいろな課題を乗り越えてこれた気がします。




つづく

木の壺 2006年




2019年7月28日日曜日

器をつくる理由


高校生の頃、美術大学を受験するために入試相談会というものに参加して、
「オブジェをつくりたいのですが」と聞いていました。
今思うと、オブジェというよりか、二次元のものより三次元で何かを表現することに興味があったのだと思います。

結局一浪した後、武蔵美短大の陶磁コースで陶芸を3年間勉強しました。粘土という素材に手を焼いて全くうまく使いこなすことができなかったというのが正直な感想なのですが、本当に一番困ったのが、2年次の卒業制作なのでした。
それまではそれなりに課題があって、いかに応えるかというところが大事だったのですが、卒業制作はテーマは自由。
ほんとうにどうしたらいいのかわからず、必死にわからないなりにテーマを決め、2ヶ月ほどかけて粘土で立体物を制作し、陶芸なので窯で焼くのですが、
私の作品の乾燥が甘く窯の中で木っ端微塵に爆発してしまい、結局その後急遽3日で再び制作したという思い出があります。
そのあと1年、専攻科というところで勉強するのですが、そのころから、「うつわ」というものに興味を持つようになりました。

「うつわ」とは、内側と外側をつくるもの、空間を分断するものをつくりながらそこを分け隔てる表面の表現というものに興味を持ち、食器というよりは、作品寄りのアートピースのようなものをつくるようになりました。
粘土という素材、焼いたらもう修復ができなかったり、乾かして、焼いていくうちにどんどんサイズが小さくなっていくこととか、自分が粘土という素材にどうしてもいいイメージがもてず、今は木という素材を使って、同じように器をつくっていますが、自分の中にあるテーマみたいなものは変わらずあるような気がします。

なんで器をつくり続けるのかが捉えどころのないテーマみたいになっているのですが、内側と外側のかたち、重さ、厚み、表面の処理、テクスチャ、食器をつくる今となっては使い勝手、いろいろ突き止める課題がいくらでもあって、答えがあるようでないのが、ずっとつくり続けている理由なのだと思います。



つづく




2019年7月19日金曜日

最近思うこと




京都の若葉屋の個展は終わりましたが、引き続き数点、お店の方でご覧いただけます。
あと、ただいま、奈良のカウリ、広島のギャラリートキネ、芦屋のJクオリアに器等を納品しております。


わたしは、今年前半の展示を一通り終え、次の秋に向けての制作をはじめているところです。
今はまず、木工旋盤で成形する前のカタチを整えたり、合わせ木をしたり、いわゆる準備段階、単純作業が多い段階で、どんなものをつくろうか、どう発展させようか頭にいろいろなものをぐるぐる巡らせながら作業を進めています。
そこでしばしば思うことなのですが、制作する上で歯がゆかったり、足りなかったり、どうしようもないという中でどうにかして選択肢を選ぶことはつくる上で往々にしてあるのですが、やはり世界を広げたり深めたりする部分も、自分の手元の中でしか叶わないということだと反芻しながら進めています。なんだか、ずっと作っていると、頭の中には「あるものでやる」という言葉浮かびます。

自分の旗色や立ち位置はいまのところ自分の作品でしか示せない。
作ることは表現だし表明すること。
うまく言えないのですが、やるからにはそのくらいの気概でものに
取り組まなければいけない。
…とかなんとか思いを巡らしながらつくったりしています。

しばらくは秋に向けての制作が続くので
ブログの方でまた、たまに思いつくままに語ります。


2019年5月21日火曜日

日々よしなしごと

ただいま、陶芸をされている宮城の市岡泰さんの工房ギャラリーにて展示中です。
【展示はあと、5月24日(金)、25日(土)】

わたしは5月の展示の山を一越えして、次の展示に向けて制作中。

私が展示をさせていただく場合は基本、在廊以外はお店の方にお任せしているので、
ご購入の際はあまり立ちあうこともなく、どういうものをご購入いただいたなどは、
展示を終える搬出時、残った作品を見ながら、お店の方のご報告などを聞きながら、そうかーなど思いを馳せたりするのですが、
もちろん、残った在庫にご購入いただいたものはなくなっており、お売りした実感もないので、なにか、つくったものが消え去った感じがします。
自分のつくったものが人の手に渡っていくいうことは何よりもありがたいことなのですが、具体的にお渡しした実感がないので、たまにふと、「あ、そういえば、あれがなくなっているということはあれを買ってくれた人がいるのだ!」などと思う時があります。(一点ものなどは特に思う時があります。)あーあれはいつか売れていくよなーと思ったり、おー!あれを買ってくれたのかーありがたいーとか思ったりしています。

だからなんだという話でもないのですが、つくっているときはつくっている対象に集中して眼差しを注いでいるのですが、出来上がった時点で、すでに自分の手を離れて別の流れの中に乗せていく感じがあります。自分がつくったものですが自分のものではないような。
つくったものがすんなりと流れに乗ったり、ずっと自分の手元にあったりするものもあり、いろいろですが、長くものづくりを続けていって、ちゃんと自分のつくったものが流れの循環に乗っていく割合がだんだんと増えて来ているような気がしています。
たいへんありがたいです。
これからも自分のオリジナルを研鑽しつつ螺旋階段のように
ものの循環の軌道にいつか乗るようなものを必ずつくっていこう。


次の展示は京都の若葉屋さん、
6月21日(金)~30日(日)です。
スペシャル企画もあります。
また後日お知らせします!