1月に病気になってから半年、退院から2ヶ月半経ちました。
毎日飲んでいるステロイドの量をすこしずつ減らしていって、8週間前から「ヌーカラ」という皮下注射を打つようになりました。相変わらず、気に入らないムーンフェイス(ステロイドの副作用で顔がまんまるになる)は続いています。
2日に一遍、ウォーキングをしたり、毎日筋トレをしています。体力も筋力も多少なりとも戻ってきたと思います。
感染症に気を付けてと言われてから、熱も出ず、特に体調不良も無く過ごしています。
制作も、少しずつ始めているのですが、特に体力的にキツいことをしてるつもりもないのですが、何かに集中して行っていると、クラクラして眠くなります。なので、1日2回昼寝をしたりしています。
今の状況から、よくいろいろな方から「無理のないようにね」と言われるのですが、改めて考えると、どのくらい動けば、行動すれば無理をしているのかのラインがどうしても掴めません。毎日の調子は、1日が終わった後に楽だったかしんどかったがわかる感じです。
なので、実践チャレンジとして、車でどこまで行けるかということで、2時間くらいかけて兵庫県立美術館の「パウル・クレー展」に行ってきました。
午前中に着いたのですが、最終週だったので結構混んでいました。着いたらもう大体目標達成ということで、作品もそこそこで、あと、大阪でお世話になっているお店に寄って、ロイヤルホストでパフェを食べて帰ってきました。夕方に帰ってきて、テレビを見ながらボーッとなりました。そのとき、これは多分疲れてんだなと自覚しました。
案外、そのあたりに常々注目して過ごしているので、無理もせず、病状も悪化せず過ごせているのだと思います。今は、療養モードなのでだんだん慣らしていっています。少しずつ慣らしながら、自分の中の「普通」を構築してる感じがあります。
毎日起きても寝ても何しても、足の痺れは当たり前のようにあり、自覚しようと意識してる時期も過ぎてきて、このくらいの期間経つと、「あ、これが普通になるのだ」と改めて自覚することとなります。このように、「普通」とか、「デフォルト」になるのも時間がかかるもんなんだなあと思います。
これも一般的には「不自由」のカテゴリーになるのでしょうが、最近終了したNHKのドラマ「しあわせは食べて寝て待て」では「新しい自分になる」という言い方で表されていました。おそらく、こんな考え方は、病気にかかる前では当たり前に思いつくわけなく、向き合って理性的に考えて行きつく答えになると思うのですが、
意識的に新しい自分になろうとしても、それは結構難しいことであり、今まで生きてきて感じるのは、いろんな事象や否応がないとに巻き込まれて、どうしようもない状態になったときにはじめて新しい自分になるのかなと思います。
どうしようもない状況を経て新しくなった自分が、新しい作品をぼちぼちつくったりしていて、しかし、そんなのも自分でコントロールできるわけなく、
自分もどんなのができてくるのか密かに楽しみにしているところです。