2019年7月28日日曜日

器をつくる理由


高校生の頃、美術大学を受験するために入試相談会というものに参加して、
「オブジェをつくりたいのですが」と聞いていました。
今思うと、オブジェというよりか、二次元のものより三次元で何かを表現することに興味があったのだと思います。

結局一浪した後、武蔵美短大の陶磁コースで陶芸を3年間勉強しました。粘土という素材に手を焼いて全くうまく使いこなすことができなかったというのが正直な感想なのですが、本当に一番困ったのが、2年次の卒業制作なのでした。
それまではそれなりに課題があって、いかに応えるかというところが大事だったのですが、卒業制作はテーマは自由。
ほんとうにどうしたらいいのかわからず、必死にわからないなりにテーマを決め、2ヶ月ほどかけて粘土で立体物を制作し、陶芸なので窯で焼くのですが、
私の作品の乾燥が甘く窯の中で木っ端微塵に爆発してしまい、結局その後急遽3日で再び制作したという思い出があります。
そのあと1年、専攻科というところで勉強するのですが、そのころから、「うつわ」というものに興味を持つようになりました。

「うつわ」とは、内側と外側をつくるもの、空間を分断するものをつくりながらそこを分け隔てる表面の表現というものに興味を持ち、食器というよりは、作品寄りのアートピースのようなものをつくるようになりました。
粘土という素材、焼いたらもう修復ができなかったり、乾かして、焼いていくうちにどんどんサイズが小さくなっていくこととか、自分が粘土という素材にどうしてもいいイメージがもてず、今は木という素材を使って、同じように器をつくっていますが、自分の中にあるテーマみたいなものは変わらずあるような気がします。

なんで器をつくり続けるのかが捉えどころのないテーマみたいになっているのですが、内側と外側のかたち、重さ、厚み、表面の処理、テクスチャ、食器をつくる今となっては使い勝手、いろいろ突き止める課題がいくらでもあって、答えがあるようでないのが、ずっとつくり続けている理由なのだと思います。



つづく